ひるひなか
-自宿冒険者を愛でるCardWirthシナリオ感想置き場-
自宿紹介
(1)
シナリオ感想
(1)
gallery
(8)
自宿SS
(3)
雑記
(5)
19
◆2.ジギーの話
============================
第一印象は、ただ、綺麗だと。
続きを読む
紫檀の髪に、魔力を帯びたアメジストの瞳。
石膏を思わせる白い肌。身体に染み付いたハーブの香り。
どこか人間離れした空気を纏い、まるで精巧な人形のような。
それでいて、話せばとても、気さくな人物だった。
歳は23。リューンの賢者の塔所属の魔術師で、その道では由緒のある血族。
名門魔術師貴族の若き次代当主、かと思ったらそうでもないらしい。
長男だからと継ぐものではないのだと。少なくとも彼の家では魔術の才が全てであり、自分はそれほど持ち得ておらず、それゆえ勉学に励んだ為に今の職が拓けたのだと。
いやに俗っぽい話に拍子抜けしたのは確かだ。
彼には貴族特有の驕りもなく、振る舞いは上品ではあるが至極自然で、こちらも変に緊張を強いられることもなく。
曽祖母による大量の謎の収集品の片付けは確かに骨が折れたが、ざっくばらんな彼との会話はとても楽しく、この依頼を受けて良かったと心底思う程だった。
屋敷のがらくたの片付け依頼。
地味で安価な仕事だが自分の気質には合っており、これまでも度々請けてきた。
むこうは冒険者に興味があるようで、自分のなんてことないエピソードにえらく食い付いてくれるので、時間が過ぎるのはあっという間だった。
話の合間にふと彼を見やると、埃っぽい古書を眺め伏せた睫毛の下で、キラキラと光を帯びる朝焼けのような瞳の色が綺麗で、何度か見とれてしまった。
きっとそう感じるのは自分だけではないだろう。さぞ彼を慕う者も多かろうと思っていたら、意外な言葉が彼の口から出た。
殆ど塔と屋敷に籠りきりで、こうした他愛もない会話は酷く久しいのだと。
彼の家が冒険者に依頼を出したのも初めての事で、こんなことならもっと早く依頼を出してみるんだった、と溢したのだ。人嫌いではないようだったが、本の虫としてこれまでの大半を過ごしてきたらしい。
表に出ればさぞ注目を浴びるであろうに、薬草学の研究室というのは変わり者揃いで、術者の見かけよりも珍奇な香草の薬効の方がよほど関心度が高いそうだ。
そうこうしているうちに昼時となり、むこうの好意で昼食を挟むことになった。
老齢の使用人が、サンドイッチとハーブティーをよく日の入る窓際のガラスのローテーブルへと並べていく。
(この身体になってだいぶ経ち、日を浴びた後の対処法も身についているため、近頃はさほど陽の光を避けずに過ごせている。)
それを挟んで彼、ジギーと向かい合うかたちに、年期の入ったソファに腰かけた。
(――本名はジギタリスというそうだが、時折茶々を入れに来る彼の二人の姉(イラクサ、ベラドンナという)は彼を「ジギー」と呼んでおり、当人も「長いのでそう呼んでくれ」とのことだった。)
少々ドレッシングに癖のあるサンドイッチを口に運び、これまた癖のあるハーブティーを流し込んでいると、ふとジギーから、何気ない調子で声がかけられた。
ジギー「そういえばお前、吸血鬼なのか」
思わずハーブティーを吹き出しかけ、必死で堪えた反動で激しくむせこんだ。
相手は神妙そうな顔で「大丈夫か」とこちらの様子を伺っている。
涙目になりながら返答に迷っていると、ジギーは申し訳なさそうに話を続ける。
ジギー「いや、さっき片付けをしながら、鏡に映っていない事に気づいて」
「銀製品には特に反応がないようだから、確証はなかったんだが…その反応を見ると…」
ロス「……」
呼吸を整え、改めて返答方法について考える。
特段隠してはいなかったが、大っぴらにしたい訳でもなく。
ロス「……ああ」
とりあえず、至極無難な返答を選んだ。
それに対するジギーの反応は予想外のものだった。
ジギー「そうか……!」
「吸血鬼に会うのは初めてだ」「本当に反射がないんだな」
「煙のようにはなれるのか?」「夜行性では?」「銀に耐性が?」
「蝙蝠とは会話が出来るのか?」「吸血はどのくらいの間隔で?」
「そうだ、サンドイッチを食べても平気なのか?」
子供のように目を輝かせている。
こんな反応をされると、自分が忌むべき存在であるという事を忘れてしまいそうになる。これも魔術師独特の感覚なのだろうか。彼は魔術を込めた薬品研究を生業としているそうなので、その影響もあるのかもしれない。
ロス「えっと…まず、俺は後天的な吸血鬼で、所謂血統種じゃない」
「だからあまり高度な技は使えなくて、まず、よっぽど頑張らないと煙にはなれないし、蝙蝠とも話せない」
「その代わり銀や聖水やニンニクや十字架はそこまで苦手じゃない」
「だから遠出する時なんかは同胞避けに十字架や死人の血を持ち歩いている」
「夜目はきくけど、昼夜逆転してると暮らしづらいから夜はなるべく寝ている」
「吸血の間隔、は……」
手元のサンドイッチに視線を落とす。
自分でも言い淀んでいる実感がある。未だに、吸血は好きではない。
吸血する自分を、認めたくはない……
ジギーはじっと続きを待っている。
ロス「……今は…合間に動物の血を挟んだりして…月に、数度…」
「あまり…好きじゃないんだ…」
そう言って俯いた。
ジギー「…じゃあやはりこの食事では、養分にならないのか」
ロス「味は感じるよ。餓えは満たせないだけで…腹にはちゃんと溜まるから…」
「食べたって気には、一応なる…」
ジギー「餓え、か」
ロス「……」
相手に自分が吸血鬼だと打ち明けたことは数えるほどしかない。
それでもいつも、自分と相手の間にそれまでなかった深い溝が引かれたような感覚で、気分は良いものではなかった。
捕食者と被捕食者。
決して相容れない種族の差。
変容してしまった以上、もう戻ることは叶わない。
相手によっては自分の事を討伐対象とみるだろう。
それにより問題が起きたことも過去にある。
午前中ののどかな空気がすっかり過去のもののようだ。
あの時彼と自分の間に種族の隔たりはなかったのだ。
…でも彼は、もしかするとその頃から気付いていた…?
ジギーは、静かに、そして穏やかに、まるで小さい子供にそうするように、声色を選んで話し出した。
ジギー「……興味本位で問い詰めてすまなかった」
「後天性のものなら葛藤はあって当然だろう」
「お前のことは…宿の親父に確かな人物だと聞いている。もう、長い付き合いだとも…」
ロス「……」
ジギー「…ひとつ、伝えておきたい。俺は吸血鬼に嫌悪はない」
「むしろ、その超常には大いに興味がある」
「あまり技が使えないとのことだが、使えるものはどんなものがあるんだ?」
「お前が嫌ではなければ、もう少し質問させて欲しいんだ。知りたいことが沢山ある」
真っ直ぐに向けられた瞳に、思わず頷いてしまう。
ジギー「ありがとう。そうだな、例えば眷属を増やしたりは?噛んだら相手が変容するとかいうだろう」
ロス「眷属…は…試したことがない…」
「けど…これまで噛んだ人は…グールになったりはしてない…と思う…」
ジギー「なるほど。魅了は使えるのか?」
ロス「魅了…と言えるのか…逃げないように暗示をかけることは…一応…」
ジギー「ならやってみてくれないか」
ロス「なんて?」
思わず声が上ずる。
ジギー「何がキーになるんだ?瞳術か?超音波?どのくらいの距離から作用する?」
ロス「い、いやよくわからない…」
ジギー「噛んだ後も痛みを誤魔化す何かが起きているはずだ」
「一般には相手を恍惚状態にする墔淫効果がいわれるが、相手はそういった状態になるのか?効果の持続時間は?何度もやると耐性がついたりは?」
「お前を吸血鬼化した相手はどうしてるんだ?お前はその相手の眷属ではないのか?単に仲間を増やして満足したのか?それとも別の要因が?」
研究者というのは皆こういうものなのだろうか。
ジギーが徐々に前に身を乗り出すにつれ、自分は後ろに引いている。
ロス「そ、そんな風に考えたことなかったから…よく…分からない…」
ジギー「そうか、そうだな」「じゃあ手近なとこから…」
口元に手をあてつつ何かを思案している。
何だか録でもない事な気がする。
ジギー「ロス」
アメジストの双眸がこちらを射る。
ロス「い、今は別に餓えてないから…仕事中に依頼人に暗示をかける訳にもいかないし…」
ジギー「先回りするな。体験すると色々手っ取り早いんだ」
ロス「初対面でそんな…」
ジギー「いつもは顔見知りから吸血を?」
ロス「ち、違うけど…」
たじろいでいると、ジギーは小さくため息をつき、すっと席を立った。
ジギー「…そんなに嫌だと言うなら、今日の所はとりあえず、働きに報いるという形で」
言うなり近くの棚から小さなナイフを取り出すと、左手の掌にあてがい、躊躇いなく引いた。
ジギーの白い肌に真っ赤な線が走り、じわりと鮮血が溢れ出す。
あまりに平然とした所作に、吸血鬼である自分の方が唖然としている。
小さなグラスの上にその手をかざし、滴る赤い液体をぽたりぽたりと溜めていく。
動揺しつつも、ロスは相手に気付かれないよう静かに喉を鳴らした。
今は確かに餓えてはいない。
けれど満たされている訳でもない。
ジギー「感想を聞かせてくれ」
血の味の、と続けた。
何故、と問うと、自分のような幼少期から薬草、時には毒草を身に取り込んでいる人間は、そうじゃない人間と味が違うのかが気になるらしい。
それに、と続ける。
ジギー「今後新薬の薬効を調べるのに、血の味の変化が役立つかもしれない」
「強力な薬程、血液に直接作用する」
「その微細な変化を感覚的に捉えられれば研究も進みやすくなる」
「かもしれない」
ロス「かもしれない」
ジギー「半分は言い訳だ。単にお前の感想が聞きたいだけで」
言い終わる頃には小さなグラスの七割がたがジギーの血で満たされていた。
ジギー「魔術の触媒に術者の血を使うのは珍しくない」
「俺も幼い頃から血を抜くのは慣れている」
「だから気にしなくていい」
手慣れた様子で掌の手当てをし、グラスをこちらに寄せる。
魔術師とは恐ろしいものだなと、吸血鬼である自分が思うのはなんだか滑稽だ。
しかし流れ出た血を元に戻すことは叶わない以上、いただかない訳にはいかないだろう。
ロス「…じゃあ…遠慮なく…」
おずおずとグラスを口に運ぶと、一息に嚥下する。
喉に流れ込んだ液体は瞬時に身体の隅まで染み渡り、否応にも活力が沸くのを実感できる。
そして提供者ご希望の感想を述べる。
ロス「なんだか、草っぽい…」
ジギー「草っぽい」
ロス「あの、あれ…青汁?みたいな風味が…」
ジギー「青汁」
ははっ、と声を上げ、ソファに沈みながら笑っている。笑った顔も綺麗だ。
ジギー「なるほど、とても興味深い」
ありがとう、と謝辞を口にし、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。
キラキラと乱反射するアメジストが、自分の瞼の裏に焼き付いていく。
ジギー「じゃあ、腹も満たせた事だし片付けの続きといこうか」
ジギーは自分の背後のうず高い骨董品の山を指差した。
そうだ、まだこの任務は続くのだ。
思いがけない報酬の分まで働きを示さなくては。
そう思いながらもどこか浮ついたような、奇妙な感覚のまま、ロスは作業を再開した。
◆
結局屋敷の片付けは一度では終わらず、ジギーの予定に合わせて数度に分けて行うこととなった。
ひいおばあ様は集めるばかりで片付けないから…と愚痴を溢していたものの、片付けた中からは幾つか彼の無くし物が発見され、当人もその存在からして忘れていたため、血なのだなあと感じられた。
そうしてひと月ほどかけてようやく全ての仕事が終わり、埃っぽい幾つもの部屋に別れを告げ、重い銀貨の袋を手に、ロスは屋敷を後にした。
これでしばらくはゆっくり過ごしていられるだろう。
親父にツケも少し返しておこうか。
宿への帰り道、そんな算段を浮かべながらも、頭の中心では焼き付いた光の色を思い出していた。
ジギーは嫌がる自分に血を吸わせるのは無理だと諦めたのか、初日以降は噛んでくれとは言わなかった。
しかし、感想を、と小さなグラス一杯を差し出すのは、相変わらず続けた(そしてやはり青臭かった)。
お陰ですこぶる調子が良かったのも確かで(青臭さと充足感には相互関係がないらしいことも分かった)、あの厚待遇が後ろめたくも名残惜しいのも事実だった。
研究協力の誘いに乗れば、今後もまた定期的に会えたかもしれない。
(――けれど)
好奇心を隠さず自分に詰め寄る姿が脳裏に浮かぶ。
彼はこの不浄の血を嫌悪していない。
(――けれど)
自分は、きっと彼に不利益をもたらすのではないか。
自分では、自分をまだ、律しきることができないのではないか。
不安が、じゃらじゃらと足元に纏わり付く。
(それに、)
ふと視線を空へと向けた。
それに、親しくなったところで、彼と自分では、時の流れが異なるのだと。
親しくなればなるほど、きっとそれは、寂しさの種となる。
吹き込んだ風に肌寒さを感じ、ロスは襟を立てつつ、足早に常宿へと向かった。
◆
ひと月後。
ある朝凪の庵に来訪者が訪れた。
来訪者は扉を開けると、上質なローブを翻しながら、真っ直ぐカウンターへと進んできた。
その衣類からは、苦いような爽やかなような、様々な薬草の香りが漂っている。
親父「おや、また片付け依頼か?ロスなら2階にいると思うぞ」
ジギー「上がっても?」
親父「急ぎなのか?…寝てるかもしれんが、まぁいいだろう」
ドアをノックする。
中から気の抜けた返事が聞こえた。
寝起きなのかもしれない。ノブを回し、ドアを開ける。
ロス「親父さん…今月のツケはまだ…」
灰桃色の癖毛をくしゃくしゃと掻きつつ寝惚け面でドアの前に出てきたロスは、眼前の人物に絶句した。
ジギー「……」
ロス「……」「ジギー…?」
ジギー「ツケなんてあったのか」
ロス「ち、ちょっとな…」「それで…どうした?何か用か?」
ジギー「俺もここを常宿にしようかと思って挨拶に」
ロス「へー……」
「え?」
ジギー「多少狭いが、悪くない部屋だな」
ロス「え…え?塔での仕事は?家は?」
ジギー「どちらも俺が居なくてもどうにでもなる。家は姉が継ぐし、仕事も幾らでも代わりはいる役割だ」
ロス「……」
ジギー「塔と家の往復だけでは得られない体験があると、お前に会って気付かされた。これまで書物は数え切れない程読んだが、吸血鬼と昼食をとったことは一度もなかった。もちろん噛むのを拒否されたことも」
ロス「そんなに根に持ってたのか…」
ジギー「好奇心だ、ロス。冒険者は生活のためにどんな仕事でも受けるんだろう。毎回何が起こるか未知数だ。それでも行く。それは何故だ」
ツケが…と言いかけ、すんでで止める。
ロス「たぶん…この生き方が、合っているから…」
ジギー「俺はな、ロス」
ああ、またきらめいている。
ジギー「臆病な吸血鬼が、その未知の冒険に挑んでいく様に興味を惹かれて堪らなくなってしまった」
「そういうわけだから、今後は同宿の仲間として、よろしく頼む」
美しい笑顔と共に差し出された右手はやはり、青い薬草の香りを纏っていた。
============================
畳む
自宿SS
編集
HOME
◆Search◆
◆New◆
No.27
2023/06/01
No.26
2023/05/31
→
2023/05/30
◆New Pict◆
◆Tag◆
ジギー
(6)
ロス
(4)
ネクロ
(1)
月戦組
(1)
RSS
============================
第一印象は、ただ、綺麗だと。
紫檀の髪に、魔力を帯びたアメジストの瞳。
石膏を思わせる白い肌。身体に染み付いたハーブの香り。
どこか人間離れした空気を纏い、まるで精巧な人形のような。
それでいて、話せばとても、気さくな人物だった。
歳は23。リューンの賢者の塔所属の魔術師で、その道では由緒のある血族。
名門魔術師貴族の若き次代当主、かと思ったらそうでもないらしい。
長男だからと継ぐものではないのだと。少なくとも彼の家では魔術の才が全てであり、自分はそれほど持ち得ておらず、それゆえ勉学に励んだ為に今の職が拓けたのだと。
いやに俗っぽい話に拍子抜けしたのは確かだ。
彼には貴族特有の驕りもなく、振る舞いは上品ではあるが至極自然で、こちらも変に緊張を強いられることもなく。
曽祖母による大量の謎の収集品の片付けは確かに骨が折れたが、ざっくばらんな彼との会話はとても楽しく、この依頼を受けて良かったと心底思う程だった。
屋敷のがらくたの片付け依頼。
地味で安価な仕事だが自分の気質には合っており、これまでも度々請けてきた。
むこうは冒険者に興味があるようで、自分のなんてことないエピソードにえらく食い付いてくれるので、時間が過ぎるのはあっという間だった。
話の合間にふと彼を見やると、埃っぽい古書を眺め伏せた睫毛の下で、キラキラと光を帯びる朝焼けのような瞳の色が綺麗で、何度か見とれてしまった。
きっとそう感じるのは自分だけではないだろう。さぞ彼を慕う者も多かろうと思っていたら、意外な言葉が彼の口から出た。
殆ど塔と屋敷に籠りきりで、こうした他愛もない会話は酷く久しいのだと。
彼の家が冒険者に依頼を出したのも初めての事で、こんなことならもっと早く依頼を出してみるんだった、と溢したのだ。人嫌いではないようだったが、本の虫としてこれまでの大半を過ごしてきたらしい。
表に出ればさぞ注目を浴びるであろうに、薬草学の研究室というのは変わり者揃いで、術者の見かけよりも珍奇な香草の薬効の方がよほど関心度が高いそうだ。
そうこうしているうちに昼時となり、むこうの好意で昼食を挟むことになった。
老齢の使用人が、サンドイッチとハーブティーをよく日の入る窓際のガラスのローテーブルへと並べていく。
(この身体になってだいぶ経ち、日を浴びた後の対処法も身についているため、近頃はさほど陽の光を避けずに過ごせている。)
それを挟んで彼、ジギーと向かい合うかたちに、年期の入ったソファに腰かけた。
(――本名はジギタリスというそうだが、時折茶々を入れに来る彼の二人の姉(イラクサ、ベラドンナという)は彼を「ジギー」と呼んでおり、当人も「長いのでそう呼んでくれ」とのことだった。)
少々ドレッシングに癖のあるサンドイッチを口に運び、これまた癖のあるハーブティーを流し込んでいると、ふとジギーから、何気ない調子で声がかけられた。
ジギー「そういえばお前、吸血鬼なのか」
思わずハーブティーを吹き出しかけ、必死で堪えた反動で激しくむせこんだ。
相手は神妙そうな顔で「大丈夫か」とこちらの様子を伺っている。
涙目になりながら返答に迷っていると、ジギーは申し訳なさそうに話を続ける。
ジギー「いや、さっき片付けをしながら、鏡に映っていない事に気づいて」
「銀製品には特に反応がないようだから、確証はなかったんだが…その反応を見ると…」
ロス「……」
呼吸を整え、改めて返答方法について考える。
特段隠してはいなかったが、大っぴらにしたい訳でもなく。
ロス「……ああ」
とりあえず、至極無難な返答を選んだ。
それに対するジギーの反応は予想外のものだった。
ジギー「そうか……!」
「吸血鬼に会うのは初めてだ」「本当に反射がないんだな」
「煙のようにはなれるのか?」「夜行性では?」「銀に耐性が?」
「蝙蝠とは会話が出来るのか?」「吸血はどのくらいの間隔で?」
「そうだ、サンドイッチを食べても平気なのか?」
子供のように目を輝かせている。
こんな反応をされると、自分が忌むべき存在であるという事を忘れてしまいそうになる。これも魔術師独特の感覚なのだろうか。彼は魔術を込めた薬品研究を生業としているそうなので、その影響もあるのかもしれない。
ロス「えっと…まず、俺は後天的な吸血鬼で、所謂血統種じゃない」
「だからあまり高度な技は使えなくて、まず、よっぽど頑張らないと煙にはなれないし、蝙蝠とも話せない」
「その代わり銀や聖水やニンニクや十字架はそこまで苦手じゃない」
「だから遠出する時なんかは同胞避けに十字架や死人の血を持ち歩いている」
「夜目はきくけど、昼夜逆転してると暮らしづらいから夜はなるべく寝ている」
「吸血の間隔、は……」
手元のサンドイッチに視線を落とす。
自分でも言い淀んでいる実感がある。未だに、吸血は好きではない。
吸血する自分を、認めたくはない……
ジギーはじっと続きを待っている。
ロス「……今は…合間に動物の血を挟んだりして…月に、数度…」
「あまり…好きじゃないんだ…」
そう言って俯いた。
ジギー「…じゃあやはりこの食事では、養分にならないのか」
ロス「味は感じるよ。餓えは満たせないだけで…腹にはちゃんと溜まるから…」
「食べたって気には、一応なる…」
ジギー「餓え、か」
ロス「……」
相手に自分が吸血鬼だと打ち明けたことは数えるほどしかない。
それでもいつも、自分と相手の間にそれまでなかった深い溝が引かれたような感覚で、気分は良いものではなかった。
捕食者と被捕食者。
決して相容れない種族の差。
変容してしまった以上、もう戻ることは叶わない。
相手によっては自分の事を討伐対象とみるだろう。
それにより問題が起きたことも過去にある。
午前中ののどかな空気がすっかり過去のもののようだ。
あの時彼と自分の間に種族の隔たりはなかったのだ。
…でも彼は、もしかするとその頃から気付いていた…?
ジギーは、静かに、そして穏やかに、まるで小さい子供にそうするように、声色を選んで話し出した。
ジギー「……興味本位で問い詰めてすまなかった」
「後天性のものなら葛藤はあって当然だろう」
「お前のことは…宿の親父に確かな人物だと聞いている。もう、長い付き合いだとも…」
ロス「……」
ジギー「…ひとつ、伝えておきたい。俺は吸血鬼に嫌悪はない」
「むしろ、その超常には大いに興味がある」
「あまり技が使えないとのことだが、使えるものはどんなものがあるんだ?」
「お前が嫌ではなければ、もう少し質問させて欲しいんだ。知りたいことが沢山ある」
真っ直ぐに向けられた瞳に、思わず頷いてしまう。
ジギー「ありがとう。そうだな、例えば眷属を増やしたりは?噛んだら相手が変容するとかいうだろう」
ロス「眷属…は…試したことがない…」
「けど…これまで噛んだ人は…グールになったりはしてない…と思う…」
ジギー「なるほど。魅了は使えるのか?」
ロス「魅了…と言えるのか…逃げないように暗示をかけることは…一応…」
ジギー「ならやってみてくれないか」
ロス「なんて?」
思わず声が上ずる。
ジギー「何がキーになるんだ?瞳術か?超音波?どのくらいの距離から作用する?」
ロス「い、いやよくわからない…」
ジギー「噛んだ後も痛みを誤魔化す何かが起きているはずだ」
「一般には相手を恍惚状態にする墔淫効果がいわれるが、相手はそういった状態になるのか?効果の持続時間は?何度もやると耐性がついたりは?」
「お前を吸血鬼化した相手はどうしてるんだ?お前はその相手の眷属ではないのか?単に仲間を増やして満足したのか?それとも別の要因が?」
研究者というのは皆こういうものなのだろうか。
ジギーが徐々に前に身を乗り出すにつれ、自分は後ろに引いている。
ロス「そ、そんな風に考えたことなかったから…よく…分からない…」
ジギー「そうか、そうだな」「じゃあ手近なとこから…」
口元に手をあてつつ何かを思案している。
何だか録でもない事な気がする。
ジギー「ロス」
アメジストの双眸がこちらを射る。
ロス「い、今は別に餓えてないから…仕事中に依頼人に暗示をかける訳にもいかないし…」
ジギー「先回りするな。体験すると色々手っ取り早いんだ」
ロス「初対面でそんな…」
ジギー「いつもは顔見知りから吸血を?」
ロス「ち、違うけど…」
たじろいでいると、ジギーは小さくため息をつき、すっと席を立った。
ジギー「…そんなに嫌だと言うなら、今日の所はとりあえず、働きに報いるという形で」
言うなり近くの棚から小さなナイフを取り出すと、左手の掌にあてがい、躊躇いなく引いた。
ジギーの白い肌に真っ赤な線が走り、じわりと鮮血が溢れ出す。
あまりに平然とした所作に、吸血鬼である自分の方が唖然としている。
小さなグラスの上にその手をかざし、滴る赤い液体をぽたりぽたりと溜めていく。
動揺しつつも、ロスは相手に気付かれないよう静かに喉を鳴らした。
今は確かに餓えてはいない。
けれど満たされている訳でもない。
ジギー「感想を聞かせてくれ」
血の味の、と続けた。
何故、と問うと、自分のような幼少期から薬草、時には毒草を身に取り込んでいる人間は、そうじゃない人間と味が違うのかが気になるらしい。
それに、と続ける。
ジギー「今後新薬の薬効を調べるのに、血の味の変化が役立つかもしれない」
「強力な薬程、血液に直接作用する」
「その微細な変化を感覚的に捉えられれば研究も進みやすくなる」
「かもしれない」
ロス「かもしれない」
ジギー「半分は言い訳だ。単にお前の感想が聞きたいだけで」
言い終わる頃には小さなグラスの七割がたがジギーの血で満たされていた。
ジギー「魔術の触媒に術者の血を使うのは珍しくない」
「俺も幼い頃から血を抜くのは慣れている」
「だから気にしなくていい」
手慣れた様子で掌の手当てをし、グラスをこちらに寄せる。
魔術師とは恐ろしいものだなと、吸血鬼である自分が思うのはなんだか滑稽だ。
しかし流れ出た血を元に戻すことは叶わない以上、いただかない訳にはいかないだろう。
ロス「…じゃあ…遠慮なく…」
おずおずとグラスを口に運ぶと、一息に嚥下する。
喉に流れ込んだ液体は瞬時に身体の隅まで染み渡り、否応にも活力が沸くのを実感できる。
そして提供者ご希望の感想を述べる。
ロス「なんだか、草っぽい…」
ジギー「草っぽい」
ロス「あの、あれ…青汁?みたいな風味が…」
ジギー「青汁」
ははっ、と声を上げ、ソファに沈みながら笑っている。笑った顔も綺麗だ。
ジギー「なるほど、とても興味深い」
ありがとう、と謝辞を口にし、こちらを真っ直ぐ見つめてくる。
キラキラと乱反射するアメジストが、自分の瞼の裏に焼き付いていく。
ジギー「じゃあ、腹も満たせた事だし片付けの続きといこうか」
ジギーは自分の背後のうず高い骨董品の山を指差した。
そうだ、まだこの任務は続くのだ。
思いがけない報酬の分まで働きを示さなくては。
そう思いながらもどこか浮ついたような、奇妙な感覚のまま、ロスは作業を再開した。
◆
結局屋敷の片付けは一度では終わらず、ジギーの予定に合わせて数度に分けて行うこととなった。
ひいおばあ様は集めるばかりで片付けないから…と愚痴を溢していたものの、片付けた中からは幾つか彼の無くし物が発見され、当人もその存在からして忘れていたため、血なのだなあと感じられた。
そうしてひと月ほどかけてようやく全ての仕事が終わり、埃っぽい幾つもの部屋に別れを告げ、重い銀貨の袋を手に、ロスは屋敷を後にした。
これでしばらくはゆっくり過ごしていられるだろう。
親父にツケも少し返しておこうか。
宿への帰り道、そんな算段を浮かべながらも、頭の中心では焼き付いた光の色を思い出していた。
ジギーは嫌がる自分に血を吸わせるのは無理だと諦めたのか、初日以降は噛んでくれとは言わなかった。
しかし、感想を、と小さなグラス一杯を差し出すのは、相変わらず続けた(そしてやはり青臭かった)。
お陰ですこぶる調子が良かったのも確かで(青臭さと充足感には相互関係がないらしいことも分かった)、あの厚待遇が後ろめたくも名残惜しいのも事実だった。
研究協力の誘いに乗れば、今後もまた定期的に会えたかもしれない。
(――けれど)
好奇心を隠さず自分に詰め寄る姿が脳裏に浮かぶ。
彼はこの不浄の血を嫌悪していない。
(――けれど)
自分は、きっと彼に不利益をもたらすのではないか。
自分では、自分をまだ、律しきることができないのではないか。
不安が、じゃらじゃらと足元に纏わり付く。
(それに、)
ふと視線を空へと向けた。
それに、親しくなったところで、彼と自分では、時の流れが異なるのだと。
親しくなればなるほど、きっとそれは、寂しさの種となる。
吹き込んだ風に肌寒さを感じ、ロスは襟を立てつつ、足早に常宿へと向かった。
◆
ひと月後。
ある朝凪の庵に来訪者が訪れた。
来訪者は扉を開けると、上質なローブを翻しながら、真っ直ぐカウンターへと進んできた。
その衣類からは、苦いような爽やかなような、様々な薬草の香りが漂っている。
親父「おや、また片付け依頼か?ロスなら2階にいると思うぞ」
ジギー「上がっても?」
親父「急ぎなのか?…寝てるかもしれんが、まぁいいだろう」
ドアをノックする。
中から気の抜けた返事が聞こえた。
寝起きなのかもしれない。ノブを回し、ドアを開ける。
ロス「親父さん…今月のツケはまだ…」
灰桃色の癖毛をくしゃくしゃと掻きつつ寝惚け面でドアの前に出てきたロスは、眼前の人物に絶句した。
ジギー「……」
ロス「……」「ジギー…?」
ジギー「ツケなんてあったのか」
ロス「ち、ちょっとな…」「それで…どうした?何か用か?」
ジギー「俺もここを常宿にしようかと思って挨拶に」
ロス「へー……」
「え?」
ジギー「多少狭いが、悪くない部屋だな」
ロス「え…え?塔での仕事は?家は?」
ジギー「どちらも俺が居なくてもどうにでもなる。家は姉が継ぐし、仕事も幾らでも代わりはいる役割だ」
ロス「……」
ジギー「塔と家の往復だけでは得られない体験があると、お前に会って気付かされた。これまで書物は数え切れない程読んだが、吸血鬼と昼食をとったことは一度もなかった。もちろん噛むのを拒否されたことも」
ロス「そんなに根に持ってたのか…」
ジギー「好奇心だ、ロス。冒険者は生活のためにどんな仕事でも受けるんだろう。毎回何が起こるか未知数だ。それでも行く。それは何故だ」
ツケが…と言いかけ、すんでで止める。
ロス「たぶん…この生き方が、合っているから…」
ジギー「俺はな、ロス」
ああ、またきらめいている。
ジギー「臆病な吸血鬼が、その未知の冒険に挑んでいく様に興味を惹かれて堪らなくなってしまった」
「そういうわけだから、今後は同宿の仲間として、よろしく頼む」
美しい笑顔と共に差し出された右手はやはり、青い薬草の香りを纏っていた。
============================
畳む